人生谷だけ

どうでも良い日々を垂れ流します。

引っ掛かりながら転がる

話は前に進み始めたのだが、、、

仕事が辛い!痛い!右足膝が一瞬で麻痺して痺れ自分の足があるのか分からない!

臀部、太もも裏が焼ける様に痛い!夜が寝れない!どんな姿勢に変えようとも痛くて

寝れずにそれでも仕事に向かう。鱗の様に湿布を張る&コルセットで頑張る。

「なんでこんな事してんだろ馬鹿だ!」と心底思った。

でも休めない、早く一日が終われば良い、早く診察の日が来て欲しいとそればかり思っていた。

 

勢いづく

話は思っていたよりもすんなり進んだ

 

病状の報告と労災申請の手続きをするお願いだが普通は嫌がるものだ、

特に零細企業なら猶更で「社労士と相談してから」 とは言われたが

「金はかからないから」

との事で許可は頂いた。だが腰痛でも腰部脊柱管狭窄症は認定は難しい

ほぼ可能性は無いらしいが まぁ手術を受けたいだけのオマケみたいな

つもりなので気にしない事にする。

以前の職場は入院中に会社が倒産・消滅したミラクルを体験しているので

油断はできないが.......

それまで色々とこの病気を調べてみたが自分には 「狭窄は自力で治る!」

「自分で治せる!マッサージ」は効果が無く身体をつの字に丸めて横になる

のがまだ少しだけ痛みがマシになった。痛み止めや薬の量も増えるが効いてる

実感が全く無いなった人にしか解らない苦しみだな

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

転がり始める

MRIの結果に良い事が無いのが分かってはいるが、担当医N氏の

「やはり手術は必要です。ここでは無理なので紹介状を書きます。」

 

と良く通る声で宣告され覚悟はしていたがやはり嫌なモノだ。1月に頸椎の

経過観察のついでに腰椎のMRIを偶然撮っていたので比べる事が出来て

「腰椎MRIの結果、L2/3,3/4,4/5狭窄+です。仕事の配置換えで

重量物を持ち6か月程で此処まで椎間板が潰れてるので仕事が原因の可能性

が非常に高いので労災申請すれば?」との発言に我に返る。駄目もとで申請を

会社に言ってみよう。どうなるか判らないが言わないとゼロだ!と色々考え先

に進む為にKS医科大学付属病院に紹介状を書いてもらう。1か月後に整形受診

が決まり痛み止め等を処方してもらい帰宅する。明日の会社の判断がどうなるか

判らないが、まぁ一歩進んだハズだ。でも薬を飲んでいても臀部と太もも裏の

激痛が続く、歩くと5分もせず左足全部が痺れてまともに歩けない。これが本当

に治るのか?手術迄これを我慢しないといけない事、それまで仕事をしなければ

いけない事にぞっとする。腰部脊柱管狭窄症 これが僕の病名だ この病症の

一員になってしまいブログを書くキッカケになったがこの先どうなるんだろう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

坂の上から


新年から激務が続き病院へ行く事が出来ず日に日に具合が悪くなっていく

  

やっとの事で病院に行きレントゲンを撮り主治医N氏に見て頂く。

が開口一番「MRIが必要です、早急に予約します 最短で3日後です」

「そんなに酷いんですか?」

「はい 6か月前の撮影と見比べているのですが、椎間板が3分の1にまで潰れ

ています!短期間でここまではありえない どうされたのですか?」

 

と部署や業務が変わった事など話し、尿意があるが、おしっこが出そうとしても

全然出せない、1分程してから排尿できる、夜中7回はある頻尿に悩まされて

いると話すと「もう手術する前提のMRIになると思います。神経は痛むとなかな

か元に戻らないので早い目に対応する事が必要です。仕事は大事ですが手術にも

タイミングがあり神経が死んでからでは遅いので切り分けて考えて下さい」

 

とのお言葉 で 今まで先延ばしにして良い事なんか一つも無いので最短で予約

をお願いして痛み止めの薬を処方して頂く、嗚呼いい先生だなと思いつつ自分に

突きつけられた現実にどうなるのか分からない不安が襲ってくるが、こうなって

は受け入れるしかないのでじたばたしても一緒だ!余命宣告じゃないだけマシだ

と思う事にした。

 

 

 

 

 

 

 



 

それは突然に

 

ある日突然、自分が担当している仕事が無くなる事になった。

 

担当していた業務を社長の知り合いの息子が立ち上げた会社に譲渡するとの事で

突然自分の居場所が無くなった。また特殊な環境で会社本体の仕事と全く違う

業種を一人で対応、社内で経営している様な環境で逆に本業側に人手が増える事

になり会社としては当たり前の決断だとは思う。だが本人はたまったモノじゃな

い!10月中位に「仕事をあいつらに任せようかと思う」の三日後に「12月に

譲渡するので引継ぎと残務を頼む」とのお言葉、当然反対や反論はするが無駄な

事は解っていた。色々と考えるが放り出すのもどうかと思い、立つ鳥後を濁さず

なので一人黙々と閉業の激務を年末までに終わらせた。中々無い事だと思うが、

年末に向けて自分で失業の準備をして年始の仕事の心配をするという(笑)人生

波風が無い凪が一番幸せだと痛感した。新年が始まり身の振り方を色々と考える

が、自分の年齢や市場価値を考え今回は長いモノに巻かれ流される事にする。

コロナが猛威を振るい活動も制限されるので保守的なのだがしかたがない生きる

為だ!と新しい環境下で働き初め、ガテンの仕事場なので超重量物を担ぎ上げ力

でやりきる日々そしてある日左足の異変に気が付く、立っていると左臀部から

左足にかけて突然感覚が無くなるまで痺れるのだ!座りこんで休むと痺れは収ま

るのだが太もも裏が痛い!持病として頚椎症性脊椎症の手術は2回済ませていて

新しい何時もの身体の不都合だと思い作業と日々を重ねるが、痛みと痺れが襲っ

てくる間隔が段々早くなってきて立っていられない!でも仕事中なので座りこん

で休憩してまた作業に戻る事が多くなった。忙しくて休めない!代わりがいない

!業務量が多すぎる!と零細会社にありがちなパターンだが酷くなる一方で足が

痺れで力が入らずこける様になってしまい整形外科を受診する事にした。